2014/07/11 金曜日 Mie Info
お知らせ
ブラジルへ移住した一家族が三重県に歴史のある資料を寄贈しました
ブラジルで生まれ幼少期を過ごした後、日本に戻り、現在三重県内に住んでいる日本人姉妹が、ブラジルに移住した日本人がどのような生活を送っていたかがわかる当時の写真や資料などを三重県に寄贈しました。
語っていただいた様子を撮影した映像は、三重県総合博物館(MieMu)の収蔵品に加わります。この3姉妹はブラジルで生まれ、70年前、まだ幼い頃に日本に来られました。ブラジルで生活していた頃のことを教えていただきました。
この3姉妹のご両親は日本を出発してからブラジルのサントス港に到着し、その後サンパウロ州のバストス市に住むようになりました。農業で生計を立て、畑でつくったものを主な食料として生活していました。
「お父さんとお母さんは畑で、綿やコーヒーやサトウキビなどをつくっていました。専用の機械でサトウキビを絞って、しぼり汁を煮詰めて砂糖をつくっていました。コーヒーの実がなっているのを棒でたたいて下に落として、豆を集めて、運動場のような広いところに広げて乾かしていました。」
ブラジルで生活していた頃の自然や果物などを懐かしく思っています。
「水がきれいで、川辺に行くと涼しかったです。その周辺には家も何もなくて、ただ川と原始林があって、木がたくさん生えていて、そこでは猿が渡り歩いていました。そこまで洗濯をしに行かないといけませんでした。そのあたりは自分たちの家族の土地だったので、果物を取ってきたりしていました。」
ブラジルで暮らしていた時は日本人学校に通っていて、日本へ来た当時、長女は10歳くらいでした。日本での生活に慣れるまで、大変だったそうです。
「しばらくは慣れなかったです。なぜか注目されていました。こども心でもわかりました。日本の1,2年生でも、先生が私たちのことをみんなの前で紹介する時に、名前やブラジルから引っ越してきたことを紹介されると、珍しがられてすごく注目されて、それが恥ずかしかったです。
よくアメリカから来た子と言われたり、子どもから大人まで、みんなの注目の的になっていました。」
この明るい3姉妹が、もうポルトガル語が思い出せなくても、最後に短いメッセージを残してくれました。
昔、多くの日本人が豊かな生活を目指してブラジルに渡っていきましたが、その歴史を実際に語る資料は少ないです。今回は、自分たちが経験してきたことが資料となって皆さんの役に立てることをうれしく思って、そしてブラジルでの70年前の生活に感謝を込めて「ありがとう!ありがとう!ありがとう!」とお礼の言葉をくださいました。
その逆に、こんな貴重な経験を教えてもらって感謝します。このような経験を今の若者にも知ってもらい、どの国のルーツを持っていようと、自分のことを誇りに思って、みんなと仲良く、幸せな生活が送れるということを実感してほしいです。
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